イスラエルモサド元長官 アサド政権排除の有益性を説く
2013年4月30日
イスラエル秘密情報局モサドの元長官メイル・ダガンは4月28日、ニュ-ヨ-クでの講演で、「イスラエル政府はシリア大統領バシャ-ル・アル=アサド政権排除のためにできるだけのことを行うべきだ。アサド打倒はイスラエルの戦略上極めて有益であり、イランとレバノンのヒズボラ抵抗運動の弱体化につながるだろう」と述べた。ダガンはまた、「イスラエルは敵対勢力が政権を握ることを恐れるべきではない、サウジアラビアや他の湾岸諸国が努力してダマスカスに穏健な政権を敷くだろう」と述べた。
アルジャジラ ブテフリカ大統領死去の偽報道
2013年4月28日
カタ-ルのテレビ局アルジャジラはパリのヴァルドグラ-ス病院の情報を否定し、2013年4月28日アルジェリア共和国大統領アブデルアジズ・ブテフリカが76歳で死亡したと発表した。
このテレビ局はムアンマル・アル=カダフィの失脚以降、アルジェリアで“アラブの春”を引き起こそうと試みている。
4月28日、ブテフリカ大統領は虚血によりパリの病院に入院した。
カタ-ルのテレビ局アルジャジラはパリのヴァルドグラ-ス病院の情報を否定し、2013年4月28日アルジェリア共和国大統領アブデルアジズ・ブテフリカが76歳で死亡したと発表した。
このテレビ局はムアンマル・アル=カダフィの失脚以降、アルジェリアで“アラブの春”を引き起こそうと試みている。
4月28日、ブテフリカ大統領は虚血によりパリの病院に入院した。
ボストンテロ ツァルナエフ家とCIAの関係
2013年4月28日 Réseau Voltaire
CIAの元アフガニスタン責任者グラハム・E・フラ-(Graham E. Fuller)の娘サマンサ・A・フラ-は、ボストンテロ容疑者であるツァルナエフ兄弟の叔父ラスラン・ツァルナエフと結婚していた。サマンサ・Q・フラ-は90年代にキルギスタンのビシュケクで民営化の事業を担当していた。彼女はラスラン・ツァルナエフと結婚し、1999年に離婚している。ラスラン・ツァルナエフは容疑者の兄弟の父親アンソル・ツァルナエフの兄弟である。ラスランは当時CIAの隠れ蓑の役割を果たしたUSAIDに勤め、その後ハリバ-トングル-プの複数の会社に勤めた。現在はモンゴメリ-ビレッジに住んでいる。
グラハム・E・フラ-は娘の元夫とその甥達の行為の関連づけは不条理だと述べた。
4月24日付けのIzvestia紙によれば、タメルラン・ツァルナエフは2012年のCIAのセミナ-に参加したという。
ボストンテロとシリア情勢
ボストンのテロとシリア情勢の関係 チエリ-・メッサン 2013年4月21日
シリアにおけるケリ-・ラブロフ案の実施は困難に直面している。アメリカは自らが対シリア戦争へ促した連盟国を従わせることができない---連盟国は報酬なしに撤退しようとしない。ロシアはコ-カサスからの突然の戦士達の到着に懸念する。戦士達は集団安全保障条約機構の治安軍を攻撃する可能性がある---かつてアフガニスタンで赤軍が攻撃されたように。
オバマ新政権においてチ-ムを改変しても、成果があがっていない。ケリ-自身も矛盾した発言をし、打開策が見えないように思われた。その時を利用して議会には新たな反対派が現れ、3つの案を提出した。シリア破壊続行を求めるイスラエルの案。軍産複合体の利害を代表する限られた戦争の案。第三の案はガスを分け合うという案だ。
ボストンのテロはこの文脈で起きた。
2013年4月16日14時50分、ボストンマラソンのゴ-ル付近で二つの爆弾が爆発し3人が死亡、百人以上が負傷した。圧力鍋の蓋が入ったリュックサックの驚くべき発見と監視カメラの映像のおかげで、当局は二日後の17時10分には二人の容疑者の写真を普及することができた。容疑者は二人の兄弟、26歳のタメルラン・ツァルナエフと19歳のジョハル・ツァルナレフである。翌日の金曜日、兄弟はMITのキャンパスで一人の警官を殺して逃れる。しかし、メルセデスを奪って逃げた際に警察に追いつかれる。200発以上の銃撃戦が一晩中続き、兄弟は負傷する。タメルランはベス・イスラエル病院で死亡する。ジョハルは徒歩で逃げ、警察に捕えられる。
世界中のテレビ局がこの事件を報道した。ダゲスタン共和国の首都マハチカラから兄弟の両親が、息子達は操作されたのだと主張し、二人の無実を訴える。特に母親はアメリカ警察からの圧力に苦しめられたようで、二人がFBIの厳しい監視下にあったこと、彼らが何かを企てた場合FBIがそれを知らなかったはずはないと強調した。チェチェン統治官ラムザン・カディロフも二人の容疑者がロシアに住んだことがないことを指摘し、自国との関係を前もって批判した。
オバマ大統領は事件に関して四度も発言し、ボストン大聖堂に赴いて演説した。大統領が個人的に関与することが事件の重要さを示している。プーチン大統領からの電話は対テロ協力体制の再開を強調する。とはいえ、対テロ協力措置は二つの反対方向にむかう可能性がある。
両国の共通の敵がチェチェンのテロリズムならば、シリアでは対テロ措置は取られないだろう。米ロは東洋を含めた世界各地でこれを行うことで同意したことになる。両国はチェチェンのテロに対し自国で勝利し、シリアではこれを無視する可能性がある。この種のテロの問題は、矛盾した展開が可能であるということで、計画した者だけがその展開を予見する。彼らはこのテロの捉え方、そこから引き出される政治方針を決める新たな要素をいつでも生じさせることができる。
いずれにせよ、シリアにおいてチェチェン人が到着したことはロシアの妨害になり、ボストンのテロはチェチェンのテロリズムを全面に出すための演出であると言える。この事件が提示されるやり方がシリア情勢の今後を決定するだろう。
この措置の弱点はジョハルが生き残ったことだ。19歳の青年をコントロ-ルすることは難しい。
ウゴ・チャベス死去 イラン大統領の弔辞
http://president.ir/fr/46071
2013年3月6日
大統領の弔辞
寛大で慈悲深い神の名において
わが親愛なる友、ベネズエラ大統領代理ニコラス・マドゥロ氏、
正義と自由を求めた一人の偉人の魂が飛び去りました。ベネズエラは一人の勇気ある、賢明な革命家を失いました。
ベネズエラの全ての国民およびベネズエラ国とその家族へお悔やみ申し上げます。
ウゴ・チャベスは全ての国々にとって親しみ深い名前です。彼の名前は純粋さ、善、勇気、愛、国民への献身、植民地主義と帝国主義の被害を受けた人々とくに貧しい人々へ奉仕する絶え間ない努力を喚起します。
彼は一貫して人間の価値へ--神と人間の価値へ--誠実に身を捧げ、神の預言者を信じ、世界の正義を重視し、正しい統治への愛を持つ人間でした。
傲慢なプロパガンダに対して強い勇気で立ち向かい、クーデタ-や経済・宣伝面の圧力を打倒しました。
ウゴ・チャベスは歴史上の全ての勇気ある革命の戦士達の象徴かつ後継者であり、抑圧される民族の自由への精神の表明、そして植民地に反対する戦士の旗印であり、諸国間の正義と友愛の代表でした。
彼は地域と世界における革命家と自由主義者の精神的支えとなるでしょう。
知識のある賢明なベネズエラ国民は彼を何度も選び、彼が困難な状況にあれば助けました。彼もまた、国民に奉仕するため、国民の自由のために全ての力を捧げました。
彼はベネズエラの国民へ奉仕し、人間の価値、革命家の価値を守ったために犠牲になりました。
ウゴ・チャベスは生きています。正義と愛と自由の中に生きています。国民の中に生きており、独立、善、正義を確立しようとしています。
私は弔意を再び表明し、あなたとあなたの国民の幸福、健康、尊厳をお祈りします。
あなたの友であり、同胞であるアフマディネジャド
イランイスラム共和国大統領
3月6日
大統領の弔辞
寛大で慈悲深い神の名において
わが親愛なる友、ベネズエラ大統領代理ニコラス・マドゥロ氏、
正義と自由を求めた一人の偉人の魂が飛び去りました。ベネズエラは一人の勇気ある、賢明な革命家を失いました。
ベネズエラの全ての国民およびベネズエラ国とその家族へお悔やみ申し上げます。
ウゴ・チャベスは全ての国々にとって親しみ深い名前です。彼の名前は純粋さ、善、勇気、愛、国民への献身、植民地主義と帝国主義の被害を受けた人々とくに貧しい人々へ奉仕する絶え間ない努力を喚起します。
彼は一貫して人間の価値へ--神と人間の価値へ--誠実に身を捧げ、神の預言者を信じ、世界の正義を重視し、正しい統治への愛を持つ人間でした。
傲慢なプロパガンダに対して強い勇気で立ち向かい、クーデタ-や経済・宣伝面の圧力を打倒しました。
ウゴ・チャベスは歴史上の全ての勇気ある革命の戦士達の象徴かつ後継者であり、抑圧される民族の自由への精神の表明、そして植民地に反対する戦士の旗印であり、諸国間の正義と友愛の代表でした。
彼は地域と世界における革命家と自由主義者の精神的支えとなるでしょう。
知識のある賢明なベネズエラ国民は彼を何度も選び、彼が困難な状況にあれば助けました。彼もまた、国民に奉仕するため、国民の自由のために全ての力を捧げました。
彼はベネズエラの国民へ奉仕し、人間の価値、革命家の価値を守ったために犠牲になりました。
ウゴ・チャベスは生きています。正義と愛と自由の中に生きています。国民の中に生きており、独立、善、正義を確立しようとしています。
私は弔意を再び表明し、あなたとあなたの国民の幸福、健康、尊厳をお祈りします。
あなたの友であり、同胞であるアフマディネジャド
イランイスラム共和国大統領
3月6日
オランドとエルドアンはアサド大統領とムアレム外相の暗殺を命じた
Réseau Voltaire 2013年3月3日
「シリアにおける秘密戦争」というドキュメンタリ-でKhadr
Awarkhはフランスとトルコの情報部によるバシャ-ル・アル=アサド大統領とワリド・アル=ムアレム外相の暗殺の企てを詳細に描写している。ドキュメンタリ-の中で、陰謀が失敗した際ダマスカスで逮捕された2人のスパイが発言する。
フランスとトルコの情報部は政府の建物の清掃を担当する会社のクルド人職員を買収してシリア大統領官邸と外務省に潜入させる取り決めを行った。
この潜入計画はイスラエルとアメリカの情報部に支援された。
2012年8月17日、フランス外相ロラン・ファビウスはこう発言している。「私は自分の言っていることの力を意識しています。バシャ-ル・アル=アサド氏はこの地上に存在する価値はありません」フランスのオランド大統領は3週間前にシリア大統領の暗殺命令を出していた。
フランスとトルコに雇われた2人のスパイの自供はAsia通信局のサイトで見られる。
http://www.asianewslb.com/vdcdk90s.yt0jz6242y.html
http://www.asianewslb.com/vdcaymne.49nao1kzk4.html
「シリアにおける秘密戦争」というドキュメンタリ-でKhadr
Awarkhはフランスとトルコの情報部によるバシャ-ル・アル=アサド大統領とワリド・アル=ムアレム外相の暗殺の企てを詳細に描写している。ドキュメンタリ-の中で、陰謀が失敗した際ダマスカスで逮捕された2人のスパイが発言する。
フランスとトルコの情報部は政府の建物の清掃を担当する会社のクルド人職員を買収してシリア大統領官邸と外務省に潜入させる取り決めを行った。
この潜入計画はイスラエルとアメリカの情報部に支援された。
2012年8月17日、フランス外相ロラン・ファビウスはこう発言している。「私は自分の言っていることの力を意識しています。バシャ-ル・アル=アサド氏はこの地上に存在する価値はありません」フランスのオランド大統領は3週間前にシリア大統領の暗殺命令を出していた。
フランスとトルコに雇われた2人のスパイの自供はAsia通信局のサイトで見られる。
http://www.asianewslb.com/vdcdk90s.yt0jz6242y.html
http://www.asianewslb.com/vdcaymne.49nao1kzk4.html
マリ空爆 フランスが隠す「付帯的損害」
Réseau Voltaire 情報源Russia Today 2013年2月9日
フランスの爆撃機によるコンナ空爆によって殺害された民間人の数はイスラム主義者の数より多い。しかしフランスメディアは「付帯的損害」に関して沈黙を守り、勝利を喜ぶ好戦的言説を優先する。
コンナのRussia Today特派員Gonzalo Wanchaはイスラム主義者は敗走したのではなく撤退しただけだと報じた。
(ビデオ: http://www.voltairenet.org/a177442)
犠牲者の数に関し、コンナの25の村のうちの1つの村を例にあげて特派員はこう報じている。
「解放作戦による損害は悲惨なものです。私達の調査によれば、フランス軍が殺害した叛徒は2人だけです。それに対し、最も深刻な被害を受けたのは住民です。14人の民間人がフランス軍の空爆により死亡しました。」
コンナの農民イドリス・メイガはカメラの前でこう述べている。「空爆の際私は外出していました。私が祈っていたとき、人々が来て、私の家族が空爆を受けたと言いました。私の持っていたもの全て-私の家族と生活手段-が破壊されました。」イドリス・メイガはフランス軍の空爆により妻と3人の子供(11歳、10歳、6歳)を殺された。
フランスの爆撃機によるコンナ空爆によって殺害された民間人の数はイスラム主義者の数より多い。しかしフランスメディアは「付帯的損害」に関して沈黙を守り、勝利を喜ぶ好戦的言説を優先する。
コンナのRussia Today特派員Gonzalo Wanchaはイスラム主義者は敗走したのではなく撤退しただけだと報じた。
(ビデオ: http://www.voltairenet.org/a177442)
犠牲者の数に関し、コンナの25の村のうちの1つの村を例にあげて特派員はこう報じている。
「解放作戦による損害は悲惨なものです。私達の調査によれば、フランス軍が殺害した叛徒は2人だけです。それに対し、最も深刻な被害を受けたのは住民です。14人の民間人がフランス軍の空爆により死亡しました。」
コンナの農民イドリス・メイガはカメラの前でこう述べている。「空爆の際私は外出していました。私が祈っていたとき、人々が来て、私の家族が空爆を受けたと言いました。私の持っていたもの全て-私の家族と生活手段-が破壊されました。」イドリス・メイガはフランス軍の空爆により妻と3人の子供(11歳、10歳、6歳)を殺された。
「戦争犯罪を罰するべきだ」
Russia Todayの特派員はまた、コンナに住むもう一つの家族、カッポ家の悲劇を報じている。「爆撃が始まった時、住民は皆逃げました。カンポ家は2人の子供を失いました。爆撃から逃れようとして溺死したのです。」
アブドゥル・カッポ氏は、爆撃で死亡した女性の3人の子供達を自分の家族が引き取らねばならないと述べた。「子供達が走ってきて、母親が殺されたと私達に言いました。彼らの母親は1時間苦しんだ後死亡しました。彼女は3人の子供を残しました。今では私達が面倒を見るしかありません」とアブドゥル・カッポ氏は述べた。
戦争犯罪はそれがいかなる国によって行われようと1949年のジュネ-ブ条約に従って罰せられるべきであるということを喚起する声がマリ国内で上がり始めているとRussia Todayは報じている。
アブドゥル・カッポ氏は、爆撃で死亡した女性の3人の子供達を自分の家族が引き取らねばならないと述べた。「子供達が走ってきて、母親が殺されたと私達に言いました。彼らの母親は1時間苦しんだ後死亡しました。彼女は3人の子供を残しました。今では私達が面倒を見るしかありません」とアブドゥル・カッポ氏は述べた。
戦争犯罪はそれがいかなる国によって行われようと1949年のジュネ-ブ条約に従って罰せられるべきであるということを喚起する声がマリ国内で上がり始めているとRussia Todayは報じている。
自由シリア軍とイスラエルがシリアの研究センタ-を攻撃
Réseau Voltaire ダマスカス 2013年1月31日
イスラエルの情報筋が西側メディアに偽情報を流し、イスラエル軍がレバノンのヒズボラの武器を輸送するシリア軍の車列を攻撃したと報じた。記事によればその武器とはミサイルSam-7あるいは直ちに使用可能な化学兵器であるという。
実際は、2013年1月30日の午後イスラエル空軍が爆撃したのはダマスカスの郊外ジェムラヤの研究センタ-である。このセンタ-にはSam-7も化学兵器も存在しない。Sam-7が破壊されたならば、首都からも見えるほどの爆発が起きたはずだ。直ちに使用可能な(成分が混合された)化学兵器の破壊は大災害を起したはずだ。
シリアの非公式の情報筋によれば、数日前、シリア軍はコントラ達が使っていたイスラエル製の精巧な機材を押収し、解体・分析のために研究センタ-に運んだという。
イスラエルが破壊しようとしたのはおそらくこの機材であると思われる。ロシアやイランに輸送される前に破壊しようとした可能性がある。センタ-はまず初めに自由シリア軍の突撃隊によって攻撃を受けた。その後、イスラエル空軍が介入しコントラが実現できなかった任務を遂行した。
イスラエル機はレバノンを通り、低空飛行で来た。ヘルモン山の後ろから現れ、シリア領空には非常に短い間だけしか入らなかった。
イスラエルの情報筋が西側メディアに偽情報を流し、イスラエル軍がレバノンのヒズボラの武器を輸送するシリア軍の車列を攻撃したと報じた。記事によればその武器とはミサイルSam-7あるいは直ちに使用可能な化学兵器であるという。
実際は、2013年1月30日の午後イスラエル空軍が爆撃したのはダマスカスの郊外ジェムラヤの研究センタ-である。このセンタ-にはSam-7も化学兵器も存在しない。Sam-7が破壊されたならば、首都からも見えるほどの爆発が起きたはずだ。直ちに使用可能な(成分が混合された)化学兵器の破壊は大災害を起したはずだ。
シリアの非公式の情報筋によれば、数日前、シリア軍はコントラ達が使っていたイスラエル製の精巧な機材を押収し、解体・分析のために研究センタ-に運んだという。
イスラエルが破壊しようとしたのはおそらくこの機材であると思われる。ロシアやイランに輸送される前に破壊しようとした可能性がある。センタ-はまず初めに自由シリア軍の突撃隊によって攻撃を受けた。その後、イスラエル空軍が介入しコントラが実現できなかった任務を遂行した。
イスラエル機はレバノンを通り、低空飛行で来た。ヘルモン山の後ろから現れ、シリア領空には非常に短い間だけしか入らなかった。
オランドは自分の軍隊を恐れている
Réseau Voltaire チエリ-・メッサン 2013年1月27日
ニコラ・サルコジとフランソワ・オランドは民間・外国の利害を満たすためにフランス軍を用いる。両大統領はコ-トジボワ-ルのカカオ、リビアの金、シリアのガス、マリのウランを盗むために兵士を死に送った。軍の長と祖国を守るために志願した兵士達との間の信頼関係が壊れている。
ニコラ・サルコジとフランソワ・オランドが実施したアフガニスタン、リビア、シリア、そして今度はマリでの軍事作戦はフランス軍内部で激しい議論を生んでいる。軍の反対表明は危機的な点にまで到っている。それを示すいくつかの例をあげよう。
2008年、ニコラ・サルコジがアフガニスタンでのフランス兵士の任務を変え、アメリカ占領軍の補充兵にした時、陸軍司令官ブルノ・キュシュ将軍はルクレ-ル戦車を送ることを拒否した。危機はあまりにも大きかったために、サルコジは最初の三面記事事件を利用してキュシュを罷免した。
2011年、今度は海軍司令官ピエ-ル=フランソワ・フォリシエ提督がリビア軍事作戦への疑いを公に表明した。提督はこの作戦が祖国を守るという本来の任務からフランス軍を遠ざけると考えた。
2012年、空軍の元司令官ジャン・フルリー将軍がさらに明確に、フランスはシリアを攻撃する使命も手段も持たないと明言した。
過去5年間の間に、高位将校達―カトリック実践者が多い―は、フランス軍が民間、外国、アメリカ、イスラエルの利益のために奉仕するサルコジとオランド両大統領によってハイジャックされたと確信するようになった。
最近の対外作戦計画がこれを確証する。2010年以来、作戦のほとんどは参謀本部議長エドゥア-ル・ギヨ-提督の指揮を離れ、エリゼ宮からのブノワ・ピュガ将軍の指揮に従っている。
特別作戦と諜報を専門にするこのパラシュ-ト兵はイスラエルへの従属と植民地主義の復活を体現している。エジプトでガザ地区閉鎖を完成しガザを巨大なゲット-に変えた鋼鉄の壁の建設を監督したのはこの人物だ。
ニコラ・サルコジが軍隊との接触を好まなかったことは知られている。フランソワ・オランドは軍隊を避けようとする。彼がミシェル・スレイマン大統領にシリアでの秘密戦争の支持を厳命するためにレバノンに行った時、FINULの兵士に挨拶しにいくことを避けた。この侮辱行為は軽蔑から来るのではなく、オランドが軍との接触を恐れるからである。
信頼関係の危機はあまりに深刻な点に到っているため、エリゼ宮の警備部は軍人が共和国大統領の生命を侵害することを恐れている。1月9日、オルレアンの第12機甲部隊基地での大統領の新年の挨拶の際、大統領府は武器の無力化を要求した。突撃銃と機関銃の撃鉄、ピストルのレシ-バ-が除去された。弾薬は没収され、鉛で封印した袋に入れられた。このような措置は60年前のアルジェリア危機以来取られたことがない。
フランソワ・オランドが「軍の共同体は活動中の者、予備の者を含めた家族である。(……)私は軍の安定、連帯を知っている。彼らの規律、団結、遠慮さえも評価する」と述べた時、大統領の警備部の行動はその発言を否定していた。大統領は自分の軍を恐れている。自分の兵士を警戒している。兵士達に自分が与える任務を正当化することができないと知っているからだ。
共和国大統領がアルジェリアに秘密作戦を拡大する意図を実行に移せば。この危機はさらに大きくならざるを得ないだろう。ところで、徴兵義務停止・軍の職業化以来、アルジェリア出身のイスラム教徒の家族を持つ兵士が多数採用されている。これらの兵士達は、両親の祖国が再び植民地化への道をたどるのを見て、感情的に反応しないではいられないだろう。
フランスのマリ軍事介入 この戦争はもう一つの戦争を隠している
チエリー・メッサン Réseau Voltaire 2013年1月21日
はるか以前から準備され、6ヶ月前にフランソワ・オランドによって発表されたフランスのマリ軍事介入は、悲劇的な展開への対応として緊急に取られた措置であるかのように提示される。この演出の目的は、マリの金とウランを奪取することだけではない。これにより、特に、アルジェリアの不安定化への道が開かれる。
「食欲は食べるほど増す」とよく言われるが、コートジボワ-ルとリビアを再植民地化し、またシリアを再び占領しようとした後、フランスはマリを物欲しげに眺め、アルジェリアを背後から攻撃しようとする。
リビア攻撃の間、フランスとイギリスはトリポリの政権を打倒するためにイスラム主義者を大いに利用した。キレネイカの分離派は、ベンガジが独立した後はムアンマル・カダフィを倒すことには関心を示さなかったからだ。ジャマヒリヤが倒れると、暫定国民委員会がAQMIの指導者をイラクから特別に派遣されたイギリスの部隊が警備したコリンティア・ホテルに迎えるのを私自身目撃した。植民地主義の次の標的がアルジェリアであることは明白だ。AQMIはそこで一つの役割を演じるはずだ。ただし、国際的な干渉を正当化するためにいかなる紛争が用いられるか、私には分からなかった。
フランス政府は、戦争がマリからアルジェリアに入り込むというシナリオを思いついた。
NATOのトリポリ占拠直前、フランスはトゥアレグを買収し寝返らせることに成功した。彼らに資金を与え武装させる時間があった。しかし、現地で役割を演じるには遅すぎた。戦争が終ると、彼らは砂漠に戻った。
トゥアレグは中央サハラとサヘル周辺に存在する非定住民族である。リビア、アルジェリア、マリ、ニジェ-ルにまたがった大きな空間を移動する。彼らはリビアとアルジェリアの保護を受けるが、マリ、ニジェ-ルからは見捨てられた。その結果、60年代以降は自分達の土地にマリとニジェ-ルの主権が行使されることを問題視している。論理的に、フランスが与えた武器を持つトゥアレグはマリでの主張を通すために武器を用いることにする。アザワド解放民族運動が彼らの住むマリ北部全体で勢力を得る。しかし、AQMIと関係を持つアンサル・ディンというトゥアレグのイスラム主義集団がこれを利用していくつかの町にシャリアを敷いた。
2012年3月12日、マリで奇妙なク-デタ-が起きた。「民主主義再建と国家再興のための民族委員会」(CNRDRE)という謎の団体がアマドゥ-・トゥマニ・トゥレ大統領を倒しマリ政権を国の北部に再建することを宣言する。大きな混乱がおき、クーデタ-参加者も自分達の行為がどのように状況を改善するか説明することができない。大統領打倒は選挙が5週間後に控えており現職の大統領は出馬しないので一層奇妙に見える。CNRDREはアメリカで養成された士官からなる。彼らは選挙を妨害し政権をフランス擁護派の彼らの候補者ディオンクンダ・トラオレに渡す。このようなごまかしは西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO)では合法化されている。CEDEAOの議長はフランスによってコ-トジボワ-ルの政権につけられたアラサン・ワタラその人なのだ。
ク-デタ-は国の民族分裂を強化した。トワレグ軍を持つマリ軍エリ-ト部隊(アメリカで養成された)は武器と荷物を持って反乱軍に加わる。
1月10日、他のイスラム主義集団に支持されたアンサル・ディンはコンナ市を攻撃する。彼らはトゥアレグの領土を離れマリ南部へイスラム法を拡大する。ディオンクンダ・トラオレ暫定大統領は緊急事態を発令しフランスに助けを求める。フランス政府は首都バマコの占拠を妨げるために直ちに介入する。これを予想していたフランス大統領はマリに第1海兵歩兵落下傘連隊(植民地連隊)と第13竜騎兵落下傘連隊、COSのヘリコプタ-数機、ミラ-ジュ2000Dを3機、ミラ-ジュF-1を2機、C135を3機、C130エルキュ-ルを1機、C160を1機配置してあった。
実際は、アンサル・ディンは現実に危険な因子ではない。真の戦闘力はイスラム主義者ではなく、トゥアレグ民族主義者であり、トゥアレグ民族主義者はマリ南部への野心はまったくない。
フランスは軍事介入のため多くの国に援助を求めた。アルジェリアもその中に含まれる。アルジェリア政府は窮地に追い込まれた。かつての植民地大国と協力するか、それともイスラム主義者が再流入する危険を冒すか?躊躇した後、アルジェリア政府はフランスの一時寄航のために領空を開く。しかし、最終的に、不特定のイスラム主義集団がマリの事件に関するアルジェリア政府のパリとの共犯関係を非難してアルジェリア南部のBPのガス施設を攻撃した。百人ほどが人質になるが、人質はアルジェリア人やフランス人だけではない。目的は明らかに紛争をアルジェリアに持ち込むことで国際化することだ。
フランスの干渉方法はブッシュ政権のそれと同じである。イスラム主義集団を使って紛争を生み、紛争解決の口実で介入し現地に駐在する。そのためフランソワ・オランドのレトリックはワシントンではもう使われない「テロへの戦争」を使う。おなじみの登場人物が再び見出される。カタ-ルはマリに設置されるフランスの大企業に投資した。アンサル・ディンの首長はサウジアラビアと親しい。
放火犯兼消防士のフランスも魔術師見習いである。フランスは自国の対テロ措置プラン・ヴィジピラトを強化することを決めた。フランスが恐れるのはマリのイスラム主義者が本国で活動することではなく、シリアのジハ-ド戦士が大量に戻ってくることだ。2年前からDCRIはフランスの若いイスラム教徒を募集してシリア国家に対して自由シリア軍と共に戦わせている。自由シリア軍の敗走により、これらのジハ-ド戦士達は現在母国に戻りつつある。母国で彼らはアンサル・ディンへの連帯からシリアで学んだテロ技術を用いる誘惑に駆られるかもしれない。
はるか以前から準備され、6ヶ月前にフランソワ・オランドによって発表されたフランスのマリ軍事介入は、悲劇的な展開への対応として緊急に取られた措置であるかのように提示される。この演出の目的は、マリの金とウランを奪取することだけではない。これにより、特に、アルジェリアの不安定化への道が開かれる。
「食欲は食べるほど増す」とよく言われるが、コートジボワ-ルとリビアを再植民地化し、またシリアを再び占領しようとした後、フランスはマリを物欲しげに眺め、アルジェリアを背後から攻撃しようとする。
リビア攻撃の間、フランスとイギリスはトリポリの政権を打倒するためにイスラム主義者を大いに利用した。キレネイカの分離派は、ベンガジが独立した後はムアンマル・カダフィを倒すことには関心を示さなかったからだ。ジャマヒリヤが倒れると、暫定国民委員会がAQMIの指導者をイラクから特別に派遣されたイギリスの部隊が警備したコリンティア・ホテルに迎えるのを私自身目撃した。植民地主義の次の標的がアルジェリアであることは明白だ。AQMIはそこで一つの役割を演じるはずだ。ただし、国際的な干渉を正当化するためにいかなる紛争が用いられるか、私には分からなかった。
フランス政府は、戦争がマリからアルジェリアに入り込むというシナリオを思いついた。
NATOのトリポリ占拠直前、フランスはトゥアレグを買収し寝返らせることに成功した。彼らに資金を与え武装させる時間があった。しかし、現地で役割を演じるには遅すぎた。戦争が終ると、彼らは砂漠に戻った。
トゥアレグは中央サハラとサヘル周辺に存在する非定住民族である。リビア、アルジェリア、マリ、ニジェ-ルにまたがった大きな空間を移動する。彼らはリビアとアルジェリアの保護を受けるが、マリ、ニジェ-ルからは見捨てられた。その結果、60年代以降は自分達の土地にマリとニジェ-ルの主権が行使されることを問題視している。論理的に、フランスが与えた武器を持つトゥアレグはマリでの主張を通すために武器を用いることにする。アザワド解放民族運動が彼らの住むマリ北部全体で勢力を得る。しかし、AQMIと関係を持つアンサル・ディンというトゥアレグのイスラム主義集団がこれを利用していくつかの町にシャリアを敷いた。
2012年3月12日、マリで奇妙なク-デタ-が起きた。「民主主義再建と国家再興のための民族委員会」(CNRDRE)という謎の団体がアマドゥ-・トゥマニ・トゥレ大統領を倒しマリ政権を国の北部に再建することを宣言する。大きな混乱がおき、クーデタ-参加者も自分達の行為がどのように状況を改善するか説明することができない。大統領打倒は選挙が5週間後に控えており現職の大統領は出馬しないので一層奇妙に見える。CNRDREはアメリカで養成された士官からなる。彼らは選挙を妨害し政権をフランス擁護派の彼らの候補者ディオンクンダ・トラオレに渡す。このようなごまかしは西アフリカ諸国経済共同体(CEDEAO)では合法化されている。CEDEAOの議長はフランスによってコ-トジボワ-ルの政権につけられたアラサン・ワタラその人なのだ。
ク-デタ-は国の民族分裂を強化した。トワレグ軍を持つマリ軍エリ-ト部隊(アメリカで養成された)は武器と荷物を持って反乱軍に加わる。
1月10日、他のイスラム主義集団に支持されたアンサル・ディンはコンナ市を攻撃する。彼らはトゥアレグの領土を離れマリ南部へイスラム法を拡大する。ディオンクンダ・トラオレ暫定大統領は緊急事態を発令しフランスに助けを求める。フランス政府は首都バマコの占拠を妨げるために直ちに介入する。これを予想していたフランス大統領はマリに第1海兵歩兵落下傘連隊(植民地連隊)と第13竜騎兵落下傘連隊、COSのヘリコプタ-数機、ミラ-ジュ2000Dを3機、ミラ-ジュF-1を2機、C135を3機、C130エルキュ-ルを1機、C160を1機配置してあった。
実際は、アンサル・ディンは現実に危険な因子ではない。真の戦闘力はイスラム主義者ではなく、トゥアレグ民族主義者であり、トゥアレグ民族主義者はマリ南部への野心はまったくない。
フランスは軍事介入のため多くの国に援助を求めた。アルジェリアもその中に含まれる。アルジェリア政府は窮地に追い込まれた。かつての植民地大国と協力するか、それともイスラム主義者が再流入する危険を冒すか?躊躇した後、アルジェリア政府はフランスの一時寄航のために領空を開く。しかし、最終的に、不特定のイスラム主義集団がマリの事件に関するアルジェリア政府のパリとの共犯関係を非難してアルジェリア南部のBPのガス施設を攻撃した。百人ほどが人質になるが、人質はアルジェリア人やフランス人だけではない。目的は明らかに紛争をアルジェリアに持ち込むことで国際化することだ。
フランスの干渉方法はブッシュ政権のそれと同じである。イスラム主義集団を使って紛争を生み、紛争解決の口実で介入し現地に駐在する。そのためフランソワ・オランドのレトリックはワシントンではもう使われない「テロへの戦争」を使う。おなじみの登場人物が再び見出される。カタ-ルはマリに設置されるフランスの大企業に投資した。アンサル・ディンの首長はサウジアラビアと親しい。
放火犯兼消防士のフランスも魔術師見習いである。フランスは自国の対テロ措置プラン・ヴィジピラトを強化することを決めた。フランスが恐れるのはマリのイスラム主義者が本国で活動することではなく、シリアのジハ-ド戦士が大量に戻ってくることだ。2年前からDCRIはフランスの若いイスラム教徒を募集してシリア国家に対して自由シリア軍と共に戦わせている。自由シリア軍の敗走により、これらのジハ-ド戦士達は現在母国に戻りつつある。母国で彼らはアンサル・ディンへの連帯からシリアで学んだテロ技術を用いる誘惑に駆られるかもしれない。
バシャ-ル・アル=アサドはシリア国民に決定を任せる
チエリ-・メッサン Réseau Voltaire 2013年1月8日
フランスと湾岸君主国は執拗にバシャ-ル・アル=アサドを残虐な独裁者として提示し、彼が6万人の犠牲者(国連人権高等弁務官事務所が出した数字)の責任者だと主張する。2013年1月6日にアサド大統領が国民に対して行った演説は、このレトリックを覆す。彼は自分が外国の侵略を受けた国の指導者であることを明確に示し、6万人の殉教者に対して賛辞を述べた。この主張の象徴として、犠牲者達の顔が組み込まれたシリアの国旗が、演説の間、大統領の背景に繰り広げられた。
この発言は近東分割に関してアメリカ政府とロシア政府が交渉した和平案の実施の形を具体的に明確化する目的があった。6月30日のジュネ-ブ合意とその後の数度にわたる接触において全体的な枠組みは決定されたとはいえ、多くの詳細についての交渉が残っている。
バシャ-ル・アル=アサドを大統領とし、反対勢力の指導者を含めた移行政府設立のアイデアは、フランスと湾岸君主国を除いて全ての当事者に受け入れられた。フランス、サウジアラビア、カタ-ルの政府は相変わらず、「移行」をバシャ-ル・アル=アサドに率いられたシリアからアサド退陣後のシリアへの移行とみなしている。その反対に、アメリカ、ロシア、シリアの政府は「移行」を和平と和解のプロセスとして解釈している。
ジュネ-ブ合意は移行時期における国民統一政府の原則を提示する。現在の憲法は大統領中心なのでこれを認めない。アメリカの省庁の長官と同様、シリアの閣僚は大統領によっていつでも罷免されうる。その結果、国民統一政府の設立には反対勢力への保証を与えるように憲法を改正することが必要である。
演説の中で、バシャ-ル・アル=アサドは反対勢力に、移行期間の政府の目的と機能の仕方を規定するために一時的に憲法を修正する「国民憲章」を共に作ろうと呼びかけている。欧州と国連・アラブ連盟の特使ラクダル・ブラヒミに先んじて、彼はその文書を国民投票にかけると発表した。言葉を変えれば、シリア国民は主権者であり続けるということだ。ブラヒミ氏がレバノン内戦の最後にタエフで企んだような列強同士のアレンジなどは問題外だ。この協定のせいでレバノンは外国の保護下に置かれ、現在もその状況が続いている。
第二の問題は、反対勢力の特定に関してである。アメリカは外国のシリア人の重要人物からなる国民連合を作り、多くの国家がこれをシリア国民の代表とみなしている。しかし、このこの国民連合はシリアに基盤がなく、自由シリア軍にも明確に拒否されている。
シリアとロシアの政府によれば、この国民連合は外国の支援を受け、シリアを西側諸国が爆撃するよう呼びかけている以上、国民統一政府に参加することはできない。それより悪いことに、アメリカ政府の見方では、この連合は許されない過ちを犯した。アメリカのテロ組織リストにアルノスラ戦線(アルカイダ分派)を載せたことを非難したのである。その結果、この連合はテロリストの側につき、信頼を失った。
アサド大統領は、この侵略戦争の間、国を守った全ての政党を国民統一政府に含めるつもりだと述べた。
この点で、当然ながらアサド大統領の発言はアメリカ国務省のレトリックと相容れない。シリア政府は国民がジハ-ド戦士を自称する外国の軍隊に攻撃されたと考える。アメリカ政府はシリアが内戦状態にあり、外国の戦士がそこに加わったとみなす。
しかし、両者の見方は少しずつ接近している。アルノスラ戦線をテロ組織のリストに加えることで、アメリカ政府は事実上、自由シリア軍を政治的に見捨てた。アメリカの政治家の一部が自由シリア軍とアルカイダを区別しているとはいえ、外交問題評議会(CFR)を含めた主要なシンクタンクはアルノスラがアルカイダの主要な要素であり、実戦に用いることができる唯一の要素であると主張している。そのため、アメリカでは「革命は人質に取られた」あるいは「ジハ-ド戦士にハイジャックされた」などと言われるのが普通になった。その結果、アメリカ政府はシリア政府の立場に容易に順応することができる。アサド解任を求めた人権のレトリックが、今はテロリズム打倒のためにアサド政権維持を求めるのだ。
もちろん、この立場は大きな偽善にすぎない。エネルギ-に関する新たな状況により、アメリカはもはやシリアのガスを独占する必要はない。ロシアと中国の三回の拒否権行使はNATOによるシリア破壊を妨げた。シリア軍はデヴィド・ペトレイアス将軍の想定した不安定化の戦略を失敗させた。ワシントンは失敗に終ったこの戦争から名誉ある退却の手段を探している。バシャ-ル・アル=アサドはこれを理解している。
シリア国民に国民投票で決定するよう呼びかけることで、アサド大統領は三つの結果を獲得する。西側諸国と湾岸君主国が否定するシリア国民主権を再表明すること。自分が投票によって選ばれた唯一の正当な指導者であることを思い出させること。和平への日程を急がせること。このような投票の誠実さを疑う国々が多いことを知っている彼は、国々の不平を利用して、国民投票を監視し暴力を停止させるための国連軍派遣を早めるつもりだ。アサド大統領は国民憲章と国民投票の日程を述べることは控えた。彼は安全保障理事会が、もはや後には引けず、日程を提案することを期待している。
フランスと湾岸君主国は執拗にバシャ-ル・アル=アサドを残虐な独裁者として提示し、彼が6万人の犠牲者(国連人権高等弁務官事務所が出した数字)の責任者だと主張する。2013年1月6日にアサド大統領が国民に対して行った演説は、このレトリックを覆す。彼は自分が外国の侵略を受けた国の指導者であることを明確に示し、6万人の殉教者に対して賛辞を述べた。この主張の象徴として、犠牲者達の顔が組み込まれたシリアの国旗が、演説の間、大統領の背景に繰り広げられた。
この発言は近東分割に関してアメリカ政府とロシア政府が交渉した和平案の実施の形を具体的に明確化する目的があった。6月30日のジュネ-ブ合意とその後の数度にわたる接触において全体的な枠組みは決定されたとはいえ、多くの詳細についての交渉が残っている。
バシャ-ル・アル=アサドを大統領とし、反対勢力の指導者を含めた移行政府設立のアイデアは、フランスと湾岸君主国を除いて全ての当事者に受け入れられた。フランス、サウジアラビア、カタ-ルの政府は相変わらず、「移行」をバシャ-ル・アル=アサドに率いられたシリアからアサド退陣後のシリアへの移行とみなしている。その反対に、アメリカ、ロシア、シリアの政府は「移行」を和平と和解のプロセスとして解釈している。
ジュネ-ブ合意は移行時期における国民統一政府の原則を提示する。現在の憲法は大統領中心なのでこれを認めない。アメリカの省庁の長官と同様、シリアの閣僚は大統領によっていつでも罷免されうる。その結果、国民統一政府の設立には反対勢力への保証を与えるように憲法を改正することが必要である。
演説の中で、バシャ-ル・アル=アサドは反対勢力に、移行期間の政府の目的と機能の仕方を規定するために一時的に憲法を修正する「国民憲章」を共に作ろうと呼びかけている。欧州と国連・アラブ連盟の特使ラクダル・ブラヒミに先んじて、彼はその文書を国民投票にかけると発表した。言葉を変えれば、シリア国民は主権者であり続けるということだ。ブラヒミ氏がレバノン内戦の最後にタエフで企んだような列強同士のアレンジなどは問題外だ。この協定のせいでレバノンは外国の保護下に置かれ、現在もその状況が続いている。
第二の問題は、反対勢力の特定に関してである。アメリカは外国のシリア人の重要人物からなる国民連合を作り、多くの国家がこれをシリア国民の代表とみなしている。しかし、このこの国民連合はシリアに基盤がなく、自由シリア軍にも明確に拒否されている。
シリアとロシアの政府によれば、この国民連合は外国の支援を受け、シリアを西側諸国が爆撃するよう呼びかけている以上、国民統一政府に参加することはできない。それより悪いことに、アメリカ政府の見方では、この連合は許されない過ちを犯した。アメリカのテロ組織リストにアルノスラ戦線(アルカイダ分派)を載せたことを非難したのである。その結果、この連合はテロリストの側につき、信頼を失った。
アサド大統領は、この侵略戦争の間、国を守った全ての政党を国民統一政府に含めるつもりだと述べた。
この点で、当然ながらアサド大統領の発言はアメリカ国務省のレトリックと相容れない。シリア政府は国民がジハ-ド戦士を自称する外国の軍隊に攻撃されたと考える。アメリカ政府はシリアが内戦状態にあり、外国の戦士がそこに加わったとみなす。
しかし、両者の見方は少しずつ接近している。アルノスラ戦線をテロ組織のリストに加えることで、アメリカ政府は事実上、自由シリア軍を政治的に見捨てた。アメリカの政治家の一部が自由シリア軍とアルカイダを区別しているとはいえ、外交問題評議会(CFR)を含めた主要なシンクタンクはアルノスラがアルカイダの主要な要素であり、実戦に用いることができる唯一の要素であると主張している。そのため、アメリカでは「革命は人質に取られた」あるいは「ジハ-ド戦士にハイジャックされた」などと言われるのが普通になった。その結果、アメリカ政府はシリア政府の立場に容易に順応することができる。アサド解任を求めた人権のレトリックが、今はテロリズム打倒のためにアサド政権維持を求めるのだ。
もちろん、この立場は大きな偽善にすぎない。エネルギ-に関する新たな状況により、アメリカはもはやシリアのガスを独占する必要はない。ロシアと中国の三回の拒否権行使はNATOによるシリア破壊を妨げた。シリア軍はデヴィド・ペトレイアス将軍の想定した不安定化の戦略を失敗させた。ワシントンは失敗に終ったこの戦争から名誉ある退却の手段を探している。バシャ-ル・アル=アサドはこれを理解している。
シリア国民に国民投票で決定するよう呼びかけることで、アサド大統領は三つの結果を獲得する。西側諸国と湾岸君主国が否定するシリア国民主権を再表明すること。自分が投票によって選ばれた唯一の正当な指導者であることを思い出させること。和平への日程を急がせること。このような投票の誠実さを疑う国々が多いことを知っている彼は、国々の不平を利用して、国民投票を監視し暴力を停止させるための国連軍派遣を早めるつもりだ。アサド大統領は国民憲章と国民投票の日程を述べることは控えた。彼は安全保障理事会が、もはや後には引けず、日程を提案することを期待している。
ニコラ・サルコジはウゴ・チャベス暗殺を企てていた
Résaeu Voltaire
カラカス〔ベネズエラ〕2013年1月1日
ベネズエラの刑務所制度大臣イリス・ヴァレラ氏はツイッタ-で、2012年12月29日にフレデリック・ロラン・ブ-ケの名前で知られるフランス人(写真)を国外追放したと発表した。
ブ-ケ氏は2009年6月18日、3人のドミニカ共和国出身者と共にカラカスで逮捕されていた。彼らは武器庫を所有していた。警察の科学捜査班は彼が購入したアパ-トで爆発物C4を500グラム、突撃銃14丁(うち5丁が望遠鏡、5丁がレーザ-照準器を配備、1丁が無音)、特殊ケ-ブル、電子起爆装置11基、各種口径薬筒19721本、機関銃3丁、ピストル4丁、ラジオ装備品11台、トーキ-ウォ-キ-3台、ラジオ1台、12口径の猟銃5丁、防弾チョッキ2着、軍服7着、手榴弾8発、ガスマスク1つ、戦闘用ナイフ1本、火薬の入った瓶7本を押収した。
訴訟の際、ブ-ケ氏はイスラエルで研修を受けたこと、フランス軍情報局(DGSE)の諜報員であることを認めた。また、合憲大統領ウゴ・チャベスを暗殺するためにテロを準備していたと認めた。
ブ-ケ氏は非合法武器所持の罪で禁錮4年の刑に服した。ユリスマル・ジェム判事の命令No096-12により出所し、移民と外国人に関する法39条に従い、「国内安全を害した」という理由で国外追放処分を受けた。
ベネズエラ当局はこの主題について声明を出すことを控えている。フィリップ・ラリオ仏外務省スポ-クスマンはこれらの事実が正しい事を認めた。カラカスのフランス大使館はコメントを拒否している。
私達の調査から結論できることは
1.ニコラ・サルコジがウゴ・チャベスの暗殺を命じたこと
2.計画は失敗に終ったこと
3.フランスはサルコジ大統領任期中にこの事件をもみ消すため多くの補償を提供したこと
である。
カラカス〔ベネズエラ〕2013年1月1日
ベネズエラの刑務所制度大臣イリス・ヴァレラ氏はツイッタ-で、2012年12月29日にフレデリック・ロラン・ブ-ケの名前で知られるフランス人(写真)を国外追放したと発表した。
ブ-ケ氏は2009年6月18日、3人のドミニカ共和国出身者と共にカラカスで逮捕されていた。彼らは武器庫を所有していた。警察の科学捜査班は彼が購入したアパ-トで爆発物C4を500グラム、突撃銃14丁(うち5丁が望遠鏡、5丁がレーザ-照準器を配備、1丁が無音)、特殊ケ-ブル、電子起爆装置11基、各種口径薬筒19721本、機関銃3丁、ピストル4丁、ラジオ装備品11台、トーキ-ウォ-キ-3台、ラジオ1台、12口径の猟銃5丁、防弾チョッキ2着、軍服7着、手榴弾8発、ガスマスク1つ、戦闘用ナイフ1本、火薬の入った瓶7本を押収した。
訴訟の際、ブ-ケ氏はイスラエルで研修を受けたこと、フランス軍情報局(DGSE)の諜報員であることを認めた。また、合憲大統領ウゴ・チャベスを暗殺するためにテロを準備していたと認めた。
ブ-ケ氏は非合法武器所持の罪で禁錮4年の刑に服した。ユリスマル・ジェム判事の命令No096-12により出所し、移民と外国人に関する法39条に従い、「国内安全を害した」という理由で国外追放処分を受けた。
ベネズエラ当局はこの主題について声明を出すことを控えている。フィリップ・ラリオ仏外務省スポ-クスマンはこれらの事実が正しい事を認めた。カラカスのフランス大使館はコメントを拒否している。
私達の調査から結論できることは
1.ニコラ・サルコジがウゴ・チャベスの暗殺を命じたこと
2.計画は失敗に終ったこと
3.フランスはサルコジ大統領任期中にこの事件をもみ消すため多くの補償を提供したこと
である。